同性婚 配偶者としての在留資格求めて

アメリカを動かした在米日本人

オンライン講演 闘い振り返る

 「グリーンカードを自分の道で取得したことが何よりも嬉しかった。隣人だけではなく、別れた夫からも支えられていた」。アメリカ人の同性婚の配偶者として永住権(グリーンカード)を得る——長い間アメリカ政府は認めてこなかったこの権利を求めた長い活動を、上田孝子さん(66)はそう語った。活動を応援してくれる人は沢山いても、批判されたことは一度もないと明かす。日本にいる元夫は、結婚生活を突然解消し、渡米した自分を恨んでいると思っていたのに、ある日国際電話で、上田さんを応援する署名に参加していたことを打ち明けたという。10月13日、上田さんは専修大学文学部ジャーナリズム学科の澤康臣ゼミナールでオンライン講演を行い、この長い闘いを振り返った。アメリカのバーモント州の制度で同性婚をした上田さんだが、当時その婚姻関係はアメリカ政府レベルでは認められなかった。つまり、国が出す在留資格を得ることができない。配偶者としての在留資格を求めて、上田さんは他の同性カップルとともに国を相手に訴訟を起こし闘い、勝利した。当時の状況を、先が見えない苦悩や「同性愛者」としてのメディア露出への葛藤なども踏まえて、赤裸々に語った。

5つの大学へ どうしても得られない永住権

オンライン講演会で話す上田孝子さん(2021年10月13日午後1時、ZOOM画面)兼島結愛撮影

 2000年1月28日、上田さんは日本からアメリカに渡った。夫、家族、日本の文化を捨ててアメリカに渡るという、苦渋の決断だった。上田さんは穏やかな結婚生活を送っていながらも、過去に留学したアメリカで知りあったフランシス・ハーバートさんが観光で日本に訪れ再開したことがきっかけに、同性であるハーバートさんに対して特別な感情を抱く自分に気づいた。夫とは、アメリカに行く本当の理由を家族には言わないという条件付きで離婚した。「夫のことを愛していた。でも申し訳ないという気持ちで、フランシスと共に行くことを諦めたら、死ぬときに後悔すると思った。自分に正直に生きたかった」。当時の心境を上田さんはそう語った。アメリカに行く決意をした理由として、神社に訪れ御神木の傍に座っていると、「アメリカが私を呼んでいる」というエネルギーを感じたという。純粋な恋心に加え、アメリカという土地に呼び寄せられるような、不思議な体験だった。

 アメリカでは当初、配偶者としてではなく、仕事に繋がる資格を取り「雇用先の推薦」によるグリーンカードを取得しようと考えた。キーン州立大学、バーモント短期大学など、計5つの大学に10年以上通い続けた。各大学を卒業しグラフィックデザインや歯科衛生士などの様々な資格も取得したが、それでも在留資格は得られなかった。他にも10年の間で、抽選でグリーンカードが得られる「グリーンカード・ロッタリー」に6回挑戦し、すべて敗れた。パートナーのフランシスさんから、偽装結婚という案さえ出たという。しかし、「嘘をつき、ストレスを増やすことは出来ない」と、上田さんは反対した。傷付けた元夫への罪悪感、異国の地アメリカでの食やコミュニケーション文化のすれ違い、複数の大学に通いながらも先が見えない不安。上田さんは心身ともにボロボロの状態だった。出来ることはすべてやった。それでもダメだった、と絶望した。

アメリカを動かした メディア出演で得た仲間の力

 「CNNに出てみませんか?」。この言葉から、上田さんの人生が動き出した。

パトリック・レーヒー上院議員から届いたお祝いのカード(上田孝子さん提供)

 上田さんの学生としての在留期限が迫ったころ、藁にもすがる思いでイミグレーション・イクオリティという、LGBTQおよびHIV陽性の移民を支援するアメリカの非営利団体に連絡をしたことがすべてのきっかけだった。イミグレーション・イクオリティは、上田さんたちの話に関心を持って耳を傾け、CNN出演のオファーをした。出演に前向きなフランシスさんに対し、上田さんはすぐに返事を決められなかった。「日本の家族に知られたらどうしよう」。家族に嫌われることが何よりも怖かったと上田さんは当時を振り返る。しかし、友人からの「日本人はCNNなんか見ないわよ」という言葉に後押しされ、出演を決めた。

 CNNを見た人々からの反響はすさまじく、署名という形で上田さんらの活動は後押しされ、地元新聞の取材やラジオからの出演依頼も舞い込んできた。集まった署名を提出、他の同性カップル4組と共に国を相手に訴訟を起こし、2013年アメリカでは同性愛カップルに男女間と同じ権利が認められた。「グリーンカードを自分の道で取得した」という感激に加え、自分を表現するために発言することや、居心地の良い場所を飛び出すことの大切さを実感したという。

 メディアを通して様々な人に声は届き、同性婚カップルに男女間と同じ権利を認めさせるという共通の目的のもと、一つの大きなグループが形成された。「今まではふたりでこっそりとやっていたが、力のある人たちと共に闘えるということが嬉しかった。情熱を持った人々と一つになることで、ようやく生きていると感じることが出来た」と上田さんは話した。グリーンカード取得後には、別れた元夫から国際電話で祝福の言葉が届いたことに加え、当時上田さんたちの活動を熱心に支援した民主党のパトリック・レーヒー上院議員からもお祝いのカードがすぐに届けられたという。

同性愛者としてのメディア露出「日本人を勇気づけたい」 

 当時、上田さんは家族に同性愛者であることを隠していた。アメリカでグリーンカードを求めて闘っていた2011年に日本メディアである共同通信の取材を初めて受けた際も「匿名、写真は後ろ姿」という条件付きであった。日本のメディアに露出することを恐れていた上田さんだったが、同社の澤康臣記者(現在、当ゼミナール担当教員)の「一人でもいいから(日本で性的少数者として悩んでいる人を)勇気づけてやって欲しい」という言葉に心が動かされたという。

上田さんたちの闘いを伝える日本メディアの記事。左は共同通信配信記事を掲載した2013年10月26日付信濃毎日新聞(澤康臣教授提供)、右は2012年6月8日付朝日新聞(上田孝子さん提供)

 グリーンカード取得後は、同社の取材にも実名顔出しで応じた上田さんだったが、日本にいる家族に直接これまでのことを話すことはできないまま。裁判で共に闘った仲間である自分以外の同性愛カップルは、家族に真実を話し、応援されていたということもあり、当時から自分の状況が辛かったと話した。そこで、2015年に日本のテレビ番組である『世界ナゼそこに?日本人~波乱万丈伝~(テレビ東京)』からの出演オファーが上田さんのもとに舞い込んできたことをきっかけに、出演直前に家族に会い、全てをカミングアウトした。当時は大喧嘩に発展したという。それでも、「他の日本人を勇気づけたい」という変わらない思いを胸に、今回の澤ゼミ学生への講演会をはじめ、日本のメディアでも自身の体験を発信している。

 講演会の最後には、学生からの素朴な質問が投げかけられた。幾つもの大学資金はどうしたのか、苦労が多い中何を原動力にしていたのかという質問が飛び交う中、「日本で仮に同性婚が認められたら、いま日本に住みたいと思いますか?」という質問には「今は思いません」とはっきりとした口調で答えた。「今はアメリカで生活を築いているし、住む場所も仕事も日本にはない。また、フランシスは自然がないと生きていけないので日本に住むことは出来ない」と、彼女を気遣いながら説明した。

学生「『居心地の良い場所』から出る勇気を」

美術館を訪れた上田孝子さん(左)とパートナーのフランシス・ハーバートさん(右) 上田孝子さん提供

 講演後、ゼミ生は上田さんの懸命な生き方への共感や、同性婚に対する関心を示した。寺田美結さん(3年)は「講演を聞いて同性婚について深く考えるきっかけになった」という。キム・ハンギョルさん(同)は、グリーンカードを得るための奮闘に共感し「頑張ったなと思いました。パートナーさんの協力も素晴らしい」と上田さんとフランシスさんの努力を讃えた。キムさんはフェミニズムに興味を持っているため、フェミの本場であるアメリカの話を聞けたことにも感激したという。

 井口楓さん(4年)には、上田さんの「居心地の良いところから出る」という言葉が印象に残っている。訴えたいことがあってもメディアに出る勇気はなかなか出るものではなく、上田さんの現状を変えようとする姿勢に「自分も頑張らなければ」と背中を押されたという。山崎至河さん(同)は、上田さんに対して「まず強い人だなという印象を受けた。本当にフランシスさんを想っていないと、ここまでの行動はできないと思う」と言及した。上田さんが渡米後、大学に10年間通い続けたというエピソードについて、「本当に強い信念を持って行動する人だと感じた。逆にそこまでしないと、同性婚はできない」と話した。