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フッ素化合物汚染避けて水確保、市負担年3840万円増の恐れ

座間市で米軍基地周辺にある河川や水源から有機フッ素化合物(PFAS)が国の暫定目標値を超えて検出されている。市はこれを受けて2021年11月より第3水源の取水を一時停止する事態に発展しており、2022年7月現在でも超過がみられるため、取水は止まったままだ。座間市はその分の水を神奈川県から購入し、その費用の1年間合計が3840万円にも上る可能性も危惧されている。一方、米軍基地が原因なのかどうかは、市による基地内立ち入り検査ができないこともあり、断定できない状態が続く。

核の恐怖 語り継ぐ

1945年8月6日、広島に原子爆弾が落とされた。広島市が作成している「原爆死没者名簿」に記載されている人数は、今年8月6日の段階で33万3907名にのぼる。この数字は、被爆の後遺症で亡くなる人を追加することで、毎年増加している。広島で被爆した84歳の田邊雅章さんと、国際会議で被爆者の声を伝える21歳の奥野華子さん。核の恐ろしさを語り継ぐ2人に話を聞いた。

外国人が教室に一人、孤立の中学生活

エジプトで生まれ育ち、父の仕事のため来日したオマー ガジィさん(16)は中学時代、教室に外国人が一人で、友達ができなかった。休み時間もずっと一人で本を読んだり、寝たりして過ごしていたという。オマーさんは中学2年生からNPOが運営する「YSCグローバル・スクール」を利用し、高校へ進学。授業での「やさしい日本語」が一番欲しかったサポートだと語った。7月、記者は同スクールと、川崎市高津区で市民ボランティアが運営する「多文化子ども塾」を訪れた。

「どこにあるか分からない」県から、大好きな人がいる県に

島根県は2018年、インターネット調査による「gooランキング」で「どこにあるか分からない県ランキング1位」に選ばれた。だが県外から島根県に関わりを持つ人が目立ち始めている。「関係人口」と呼ばれ、地方創生の担い手と期待される。神奈川県で生まれ育った専修大学経営学部4年の藤田愛さんも「関係人口」の一人だ。島根県の第一印象は「何も知らない場所」だったと話す彼女だが、現在は島根県のことなら何時間でも語れるほどの島根好きで、4年生の4月からは大学を休学して島根県を訪れ、インターンシップを行っている。きっかけは、島根の「人」との出会いだった。

無名競技、整わない環境…でも楽しくプレーする

オーストラリアンフットボールは楕円形の競技場でラグビーボールのような楕円球を操る球技だ。日本では馴染みがないが、オーストラリアでは競技人口でサッカーを超す人気スポーツ。日本の競技団体に所属する7チームの一角が、専修大学の学生チーム「専修パワーズ」で、厳しい活動環境、選手集めや財政面の問題に直面しながら社会人チームに混ざって試合をしている。

DV・ハラスメントから学びの場守る

恋人同士の間の「デートDV」は2人の関係が対等でなくなることが発生の背景と指摘される。専修大学では、毎年、NPO法人や川崎市と協力し、デートDVに関するワークショップを開催している。実例や被害を受けている人を見かけた際の対応を学習する。デートDVは学びを阻害する可能性もあるため、大学内にあるキャンパスハラスメント対策室を中心に学習環境を守る取り組みの一環として行われる。

窮地か好機か コロナ禍の日本留学

コロナ禍以来、来日する留学生の数が激減している。すでに留学生として日本に滞在し、進学塾などに在籍して大学や専門学校への進学をめざす立場の外国人たちの目には、コロナ禍は窮地にも、好機にも映っているようだ。日本留学のための試験が中止になるなどの影響で、進学の機会が得にくくなる一方、受験者が激減したことで競争はゆるくなっていると感じる留学生もいるためだ。

「違いは豊かさ」同世代にも知ってほしい

在日コリアンを親に持つ大学2年生の中根寧生さん(20)は多文化共生への理解をより多くの人に広めたいと願い、地域一体で「違いは豊かさ」だと教育する大切さを訴えている。中学3年生だった2018年、匿名ブログで在日コリアンを差別する書き込みをされ、大分市の男性に損害賠償を求め提訴。昨年5月、東京高裁の控訴審判決は男性に130万円の損害賠償を命じた。被害者として過ごした4年間は「長かったし辛かった」と語る。中根さんの背中を押したのは、同世代の励ましの言葉だった。

事業縮小した介護NPO

川崎市の二つの介護NPO法人が近年、相次いで事業を縮小した。デイサービスや通所介護の施設閉鎖、夕食宅配事業の終了などで、近年の介護業界への大企業参入やコロナ禍、人材不足などの要因から、NPO法人からは経営の苦しさを嘆く声が上がっているという。

災害から命守るため「想像を」

今年3月11日、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で開かれた「追悼のつどい」。ハトをかたどった白い風船が、一斉に空に吸い込まれる。丹野祐子さん(53)は、ゆっくり飛んでゆく風船を見守った。津波で亡くした長男の公太さん(当時閖上中1年、13歳)に贈ったのは、「たまには帰っておいで」というメッセージ。「まさか津波が来るなんて夢にも思わなかった」とあの日を悔やむ丹野さんは、震災翌年から語り部として伝承を続ける。