専修大には最寄りの向ヶ丘遊園駅からの学生用スクールバスがなく悪天候時には路線バスに学生が集中するが、1950-60年代には学生用バスが運行されていたことが、大学保存資料や大学史担当者の話で分かった。一方、あざみ野駅からは学生も乗れるスクールバスが運行しているが、4月11日には利用学生数が想定を超え、乗り切れなかった学生が倍近い時間を要する路線バス登校を余儀なくされ、大学は急遽、増便することを発表。学生の足を便利にする策はないのか、バス通学の歴史と現状を探った。
路線バス迂回で始まり、1954年にチャーター契約
専修大の学生生活課や大学史資料室によると、学生も利用できる「スクールバス」が運行されていたのは、1951(昭和26)年10月頃から1964(昭和39)年3月末までの約12年半。1951年の運行当初は、小田急の路線バスが生田校舎前まで迂回し、「スクールバス」と呼ばれており、54年9月から大学は小田急バスとチャーター契約を結んで本格的スクールバスの運行が続いたという。
大学史資料室(神田キャンパス)の石綿豊大さん(45)は、「残っている資料からは、バスが多くの学生に利用されていたことが伝わる」と話す。
学生が主体となり発行していた「専修大学新聞」1952(昭和27)年1月20日付は、霜どけで土がぬかるんでいることを報じる記事の中で、「昨年開通以来、漸次利用者もふえ喜ばれていた稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)−生田校舎正門前直通スクール・バス」と記載した。一方、大学が発行する「専修大学学内だより」1963(昭和38)年8月5日付は、「生田校舎正門前のスクールバス発着所に鉄製プラスチック屋根のスマートな待合所が完成し、雨の日は特に喜ばれている」と伝えている。また、同年の複数号の「学内だより」は、スクールバスの月あたりの運行日数や延べ乗車人数を詳細まで記録しており、多い月では25日の運行で延べ5万人以上が乗車していたことが分かった。月あたりの乗車数はその月の運行日数によって差があったが、1日あたりで換算すると延べ2千人前後で推移していた。 =グラフ
専修大学新聞 「専修大學新聞部」や「専修大學新聞會」(「専修大学新聞会」)が1946(昭和21)年から発行していた学生新聞。同年11月25日付の「第1号」で、1944年まで発行されていた「専修大学経済新聞」から改題したと説明し、「自由公正な立場から学生の手によって本新聞を運営していく」と告知した。欄外に「毎月発行」との記載が複数号にある。専修大学図書館のオンライン蔵書検索システム(OPAC)によると、同館が所蔵(マイクロフィルム形式)しているのは1974(昭和49)年6月20日付号が最後。ただ、図書館などに収蔵されていない号も存在する。
64年3月廃止 「法律違反」で
ただ、スクールバスは1964(昭和39)年3月末で廃止されたという。
1964年4月10日付「学内だより」は、同年2月のバス乗車人数の記載に加え、「本年4月よりスクール・バスの運行は中止される」と伝えている。「専修大学新聞」(1964年4月15日付)は、「バス代値上げ 15円−スクールバスから会社線に」との見出しで、同年4月1日からスクールバスが廃止されたことを報じ、小田急側から「今までのスクールバスという形態は、道路運送法違反であり違法行為を行うことは出来ない」とされたことが廃止につながった、と報道。さらに、「違法行為とわかりながら今まで行なっていた学校側にも問題がある」と指摘していた。
「当時のバスに関する資料はあまり残っていない」(石綿さん)ため裏付けはできないものの、「専修大学新聞」の記述からは、当時の法律(道路運送法)では、スクールバスの運行をするためには運輸(現・国土交通)大臣から事業免許を受ける必要があったが、そうした手続きをしていなかったということになる。
学生生活課(生田キャンパス)の永島泰子課長(48)はVIRIDISの取材に応じた3月、スクールバスが運行されていたことについて「私も専修大の卒業生だが、全く知らなかった」と驚いた様子だった。
小田急バス遊園便、乗りきれず長蛇の列…
あざみ野スクールバスは柔軟増便対応
バス待ち20メートル超も
2022年9月19日の向ヶ丘遊園駅の北口バスロータリー。専修大の22年度後期授業が始まった週の月曜日だった。祝日「敬老の日」だが授業日で、多くの専修大生が大学に向かおうとしていた。天気は不安定。九州などに上陸した台風14号の影響で、傘が飛ばされそうになるほどの強い風雨の合間には、強い日が差し込むこともあった。
記者が現場に着いた午前10時15分すぎには、すでに長いバス待ちの列。長さは、バス乗り口から「アトラスタワー」出入口付近まで20メートル以上もあった。ほとんどの人が傘を差していたことも、列が長く見える要因になった。並ぶ人の中には、雨に耐えきれなかったのか、列から外れて屋根のある建物内に逃げ込む人の姿もあった。授業開始直前に大学に到着する便が人気で、この日も10時台前半の便に並ぶ人が集中。10時18分や同34分発のバスでは並んでいた全員は乗りきれず、待機列は同50分の便で解消した。
遊園便「バス会社の判断」、増便にハードル
専修大生の通学に主に使用されているバスは、①向ヶ丘遊園駅から大学へ向かう便、②あざみ野駅(横浜市青葉区)と生田キャンパスとを結ぶ便、の2つがある。②の「あざみ野便」は、学生と許可された教職員のみが乗れる「スクールバス」(運行は小田急バスに委託)である一方、①の「向ヶ丘遊園便」は一般客も利用する小田急バスの路線バスだ。
そうした事情を受け、永島・学生生活課長は、「遊園便」で雨の日などに学生が乗り切れない場合があることについて、「小田急バスとは、通学のボリュームゾーンを共有するなど連携は取っている」とする。だが、増便などの混雑緩和対応については「大学が委託するバスならば交渉の余地はあるが、そうではないため、バス会社の判断になる」との認識を示した。
新型コロナウイルス禍のピーク時には、小田急バスが向ヶ丘遊園駅と専修大学を結ぶ路線バスで、通学時間帯(午前8時台〜10時台)4本を含む複数便を減らしたが、「こちらも(回復を)お願いをしたが、『運転手が足りず、対応は難しい』と言われてしまった」という。
向ヶ丘遊園駅便をスクールバスにしない理由については「これまで検討があったかどうか分からないが、『路線バスがある程度出ているので(変えなくても)良い』ということで変わらないのではないか」と話した。
「スクールバスだから増便できた」
一方の「あざみ野便」では、柔軟な対応を取ることができるメリットがある。
23年度授業初週の4月11日、あざみ野駅を午前8時5分、同15分発の計2台のスクールバスに学生が乗車できず、約50人の学生が路線バスでの通学を余儀なくされた。運行確認で乗車したことがある永島さんによると、スクールバスでは30分ほどで到着するが、路線バスだと1時間程度を要する場合もあるという。
学生生活課は、年度初めでバス利用者数を把握しきれなかったことが理由だと説明し、9割が対面授業だった22年度は2台で足りていたという。永島・学生生活課長によると今年度は入学者数が多く、そのことの学内での情報共有もあったものの、「あざみ野周辺に住んでいても電車やバイクで通学する人もいる。何人があざみ野からのスクールバスを使うかを探るのは難しい」とする。そのため、「人数が読めない期間は、(増便を含め)3台で運行し、その後2台でできる日を見極める対応を取ろうと思う」と明かした。
この件を受け、学生生活課は4月中(土日や休業日を除く)、新たに8時10分発の便を増やし、8時台は計3便運行させた。5月以降は乗車人数の多い毎週火曜と水曜は増便を続ける。後期開始後の2週間程度は前期開始時と同程度の増便を決めた。永島さんは、「スクールバスだから(増便の)対応を取れた面もある。同じように遊園便で、学生が乗り切れないから(増便を)出してくれ、となると違う話になってしまうところもある」と述べた。
明大や農大は学生用運行なし、日本女子大は過去に運行
他大学では、専修大と目と鼻の先にキャンパスがある明治大生田キャンパス(生田駅から徒歩10分)は、教職員用バスのみ運行。VIRIDISのメールでの取材に「スクールバスは、今いる職員が把握している限り、少なくとも過去20年以上運行していない」(広報課)と回答した。東京農業大世田谷キャンパス(経堂駅、千歳船橋駅から徒歩15分)は、「通学のためのスクールバス運行は、(1891年の)創立以来ない」(企画広報室)と話し、教職員を送迎するバスも運行していないとした。
一方、日本女子大西生田キャンパス(読売ランド前駅から徒歩約10分。2021年4月から目白にキャンパス移転)では、開校以降、教職員用バスは運行されていたが、04年4月から学生や大学関係者が利用できるスクールバスとしての運行に変更。広報課によると、19年度の通常ダイヤの場合、向ヶ丘遊園駅からキャンパスを結ぶ便が平日片道30本前後運行されており、「2004年から何年かは有料としており、それから無料になった」という。ただ、新型コロナウイルス禍によるキャンパスの入構禁止・制限で利用者が大幅に減ったことを理由に、学部移転に先立つ20年4月に運行を停止した。