外国人が教室に一人、孤立の中学生活

「やさしい日本語」求めていた

居場所作り「大切にしたい」

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 エジプトで生まれ育ち、父親の仕事の都合で日本へ渡ったオマー ガジィさん(16)は教室に外国人の生徒が一人で、友達ができなかった中学校生活を明かした。オマーさんは日本語を話すことができたが、クラスメイトからは「外国人だ。日本語は話せない」と理解されず、話しかけられることはなかった。休み時間もずっと一人で本を読んだり、寝たりして過ごしていたという。中学2年生からオマーさんは、NPO法人青少年自立援助センターが運営する「YSCグローバル・スクール」を利用し、高校へ進学した。YSCでは日常生活で使用する言葉で授業を説明するからわかりやすいという。中学校で難しく速い日本語の授業を受けていたオマーさんは、「やさしい日本語」が一番欲しかったサポートだと語った。7月、記者は「YSCグローバル・スクール」と、川崎市高津区の高津市民館で市民ボランティアが運営する「多文化子ども塾」を訪れた。

宿題サポートを体験

「YSCグローバル・スクール」福生校=2022年7月27日午後3時34分、東京都福生市で、齋藤美久撮影

 キーンコーンカーンコーン。7月27日午前10時、チャイムが鳴ると外国につながる子どもたちが、夏休みの宿題を始めた。東京都福生市の「YSCグローバル・スクール」福生校。記者がここを訪れたのは、外国につながる子の夏休みの宿題サポートにボランティアとして参加するためだ。担当した女の子は数学の問題集に取り組んでいた。問題を解き進める手が止まり、符号の計算の中でもマイナスの掛け算に悩んでいる様子だった。そこで、女の子に話しかけてみた。指導ボランティアが意識するよう求められた「やさしい日本語」を使い、「マイナスとマイナスをかけるとプラスになります」とゆっくり解き方を説明した。数学は難しい、英語は好きだと話す女の子は、「あーそっか」と相槌を打ちながら解き進めた。
 これに先立つ7月20日、YSCグローバル・スクール代表の田中宝紀さんは宿題サポートでボランティアとして指導する学生へ向けて、「やさしい日本語」の活用や、指導上の注意事項をオンラインで事前講習した。これまで何とかやり過ごしてきた子どもたちの場合、「わかった。大丈夫」と言っていたとしても、理解できていない場合があると田中さんは指摘する。「大丈夫」ではないのかもしれないという意識のもと、一歩踏み込んだサポートが必要だという。
 午前の宿題サポートを終えると、昼食の時間となった。コロナ感染対策のため子どもたちは皆、黙食をしていた。昼食を終えると、静まり返っていた教室は一気に賑わいを取り戻した。教室の中央に集まりUNOで遊ぶ子どもたち。スタッフが持ってきた虫かごからクワガタを取り出すと、手に乗せ興味津々に観察する子どもたち。YSCグローバル・スクールは外国につながる子にとっての「居場所」なのだ。

昼食後、教室の中央に集まりUNOで遊ぶ子どもたち=2022年7月27日午後0時48分、「YSCグローバル・スクール」で、齋藤美久撮影

休み時間もずっと一人

 「休み時間もずっと一人、本を読んだり寝たりしていた」。エジプト出身のオマーさんは現在高校1年生。外国から来た生徒が自分一人だった中学校生活を明かした。オマーさんが初めて日本に来たのは、3歳の時だ。3歳から中学1年生まで、父親の仕事の都合で日本とエジプトを行き来する生活を送り、中学2年生のYSCグローバル・スクール利用開始時点でエジプト5年半、日本7年半という生活歴だった。中学1年生の後半から現在まで日本で生活している。
 現在、流暢に日本語を話すオマーさんは、中学生の頃から日本語が話せた。クラスメイトたちは外見だけでオマーさんが日本語を理解していないと思い、自分を話題に話している時、オマーさんは話の内容を理解していた。クラスメイトの中には、そうとは知らずオマーさんの悪口を言う人もいたという。
 中学校の授業で、困ったことはたくさんあった。日本語の聞き取りは得意でも、わからない時はある。授業を聞き、わかる部分とわからない部分があり、内容を全て理解できないことで、自習も難しかった。YSCグローバル・スクールに通う以前は、教科書を見てもひらがなとカタカナしか読めなかった。漢字が読めないと、内容は全くわからない。国語の授業中に、「この文章を読んでください」と先生に当てられた時には、恥ずかしい思いをしたことがあった。周囲の日本人生徒は上手に音読をするなか、自分だけが読めない。とて
も落ち込んだという。

学校生活を振り返るオマーガジィさん=2022年7月27日午後1時7分、「YSCグローバル・スクール」で、齋藤美久撮影

充実の高校生活、将来への期待

 兄や友人から高校の話を詳しく聞いていたオマーさん。高校に行けば友達が増え、アルバイトなど多様な経験ができると考え、兄と同じ高校へ進学した。
 オマーさんが通う高校には、1年生だけでも外国人生徒が20人ほど在籍しており、外国人生徒が多い。高校では、日本語のサポートを行っている日本語部に所属している。日本語部では、東京で暮らす外国人生徒が日本語の言葉遣いや文法を学んでいる。日本語能力試験で、新聞や雑誌を理解でき、自然に近いスピードの会話やニュースを聞いて把握できる「N2」の取得を目指し、12月に試験を受ける予定だ。コンビニエンスストアでアルバイトもしている。「日本人とのコミュニケーションが一番日本語の勉強になる」と話すオマーさんは、アルバイトも「日本語がわかると生活も全て楽しくなる。日本人と話すのはとても楽しいから」と、打ち込んでいる様子だ。
 高校卒業後は、情報工学が学べる大学への進学を志しているオマーさん。将来は、システムエンジニアかプログラマーとして働きたいと語った。

「やさしい日本語」が一番大事

「YSCグローバル・スクール」で七夕をした時に飾ったという短冊=2022年7月27日午後0時51分、「YSCグローバル・スクール」で、齋藤美久撮影

 外国につながる子どもたちが日本で安心して勉強するために必要なサポートを尋ねると、オマーさんは「やさしい日本語が一番大事かなと思います」と話した。YSCグローバルスクールでは「やさしい日本語」のように、日常で使用する言葉で授業を説明するからわかりやすいという。例えば「話す」という漢字を勉強する際には、漢字の隣に「話します。生徒、話します」といった文章が示され、文章の隣に生徒と教師が話している写真が示される。オマーさんはYSCに貼られているポスターも勉強になると話した。ポスターでは、「話してはいけません」という文章も「やさしい日本語」で「話します。だめ」と書かれている。「だめ」と書いてあるとわかりやすいという。
 YSCグローバル・スクールで勤務し6年目を迎える山本明子さんは、「一つの指示を出すにも、もう少しやさしい言い方があったと毎回思う。通じたのかな、どうなのかなと思う」と話した。「やさしい日本語」で説明する際には、長い言葉を避け、生徒がわかる範囲内の文法で伝える、初日の授業
であれば可能な限り「絵」を使って説明するなど表現の仕方を工夫している。
 山本さんは、子どもたちの多様なバッググラウンドに気を配る。日本に来たくて来ているわけではない、日本語を習いたくて来ているわけではない子どもたちがたくさんいると理解し、できる限りポツンと一人でいる子がいないよう、安心安全の居場所になれるよう配慮を欠かさない。

外国につながる子どもたちの「居場所」に

 川崎市にも、外国につながる子どもたちの学習支援の場がある。川崎市高津区が高津市民館で開く「多文化子ども塾」だ。7月23日午前10時30分、3人の生徒がボランティアと共に、算数の宿題や音読をしていた。子ども塾を来るのが楽しいと思える居場所にすることが最初のステップと語るのは、ボランティアとして学習支援をする大澤勇雄さん(71)。2015年、高津市民館で開かれた「外国につながる子どもの学習支援ボランティア養成講座」受講者数名で「多文化子ども塾サポートクラブ」を立ち上げ、2016年4月から活動を開始した。市民自主企画事業として開始した学習サポートは現在、高津区の多文化共生事業の一環として継続している。11名のボランティアが、高津区や高津区周辺に住む、小学生の外国につながる子どもたちを対象に無料で学習支援を続けている。
 大澤さんは「勉強が分かる以前に、子どもたちにとって多文化子ども塾に来るのが楽しいと思える場になっていないと、来なくなってしまう」と、子ども塾を「居場所」にすることの重要性を語った。
 大澤さんは保護者の参加がないことを課題と捉える。外国につながる子どもたちの保護者には、子どもの学校の宿題を見てあげられない、学校からのプリントが読めず用意するものがわからないなど、子どもの学校生活に関われない状況がある。子ども塾では、活動開始当初から保護者の日本語学習支援や学校からのお便りの理解、子どもの学習の様子を見るなど、保護者への支援を重視していた。しかし、コロナ禍以降保護者の参加が途絶えてしまった。
 保護者や学校の教員はもちろん、学童保育施設の職員など子どもたちの周囲の大人の理解も求められる。大澤さんは高津区内や近隣の区の、公立小学校の中にある学童保育施設を訪れ、子ども塾の宣伝を依頼して回った。その際に大澤さんは、学童保育施設のスタッフから「外国につながりのある子はいるが、心配はないです。大丈夫です」との声を頻繁に聞いたという。だが大澤さんは、恐らく外国につながる子どもたちが、友達と日常会話ができて日々暮らせるから「大丈夫」と認識されてしまうが、その認識と、勉強が理解できることとは大きく異なると指摘し、「その違いをなんとか分かっていただきたい」と語った。「多様性を認めることや心のバリアフリーを広げて、当事者意識を想像できる社会にしていくことの一助になれば嬉しい」