競技が生きがい 世界一目指す

ろう者アスリートの奮闘

「デフテニス」知名度向上へ

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 「デフテニスがなかったらテニスをここまで続けていない」。そう話すのは専修大学文学部3年の鈴木梨子(りこ)さん(20)。「デフテニス」と呼ばれるろう者専用のテニスに取り組むアスリートだ。幼いころに難聴と診断され、補聴器を付けた生活を送っている。補聴器を活用してテニスに取り組んでおり、今年で13年目を迎えた。そして、世界には難聴のアスリートたちだけで開催されるデフリンピックという世界大会が存在し、その1種目にプレーヤーが補聴器を外して試合を行うデフテニスがあるのだ。プレーヤーにとっては無音の世界でテニスをすることになり、打球音が聞こえない。そのため、目だけでボールを追って打球を判断しなければならず、瞬時の判断や反射神経の高さが問われる。鈴木さんは2年後の日本開催のデフリンピックで世界一を目指す。競技の発展に尽力するため、奮闘している。

専修大学テニス部にも所属しプレーする鈴木梨子さん(2023年5月27日15時48分、東京都西多摩郡日の出町の亜細亜大学日の出キャンパステニスコート)河上明来海撮影

難聴と向き合う

「人と話している際、音は聞こえてはいるが、何と言っているかはわからない」。鈴木さんは感音性難聴という、複数の音を聞いた際に特定の音を聞き分けることが難しい聴覚障がいがある。それとともに、大きな音でないと耳に届かない。聴覚障がいの程度は音の大きさの単位㏈(デシベル)で表すが、聴覚障がいがない成人平均を0㏈とすると、聴覚障がいの境目が25㏈、鈴木さんは70㏈と開きがある。

 難聴が分かったのは1歳のころ。両親が「姉に比べてなかなか喋り初めが遅い」と心配になって検査に行ったところ、診断された。その後はすぐに補聴器をつけ、「これまで聞き漏らした言葉や音があるから」という理由で聴覚訓練施設というろう者向けの療育施設に通った。ここでは、ものを書いたり聞いたり話したりするだけでなく、本をたくさん読んだり、相手の口の開き方で何と言っているか判断する練習など、多くの訓練を積んだ。そんな当時を「大変だった」と振り返る。

競技が精神的な支えに

 鈴木さんがテニスに出会ったのは小学2年生。「姉がやっていたので自分も」とはじめは興味本位だった。補聴器があるため、プレー自体には大きな支障はなかったが、音の聞き分けがしにくいという特徴がある難聴のため、「試合中にスコアの声(音)が聞こえはするが、何と言っているかはわからずに点数が把握できない、指導者のアドバイスも一語一句ははっきり聞き取れないといった苦い体験もした」と振り返る。

 それから7年が経った中学3年生の夏。幼い頃に通っていた療育施設から定期的に届くお便りに目が留まった。「内容は(ろう者が取り組むスポーツの総称)デフスポーツを紹介するもので、そこにデフテニスもあった」。すぐにデフスポーツの推進活動に取り組むNPO法人に問い合わせ、自分の難聴のレベル・聞こえ具合で出場できるか確認。すると、出場できる資格は聴力55db(小さい声での会話が聞こえないくらいの数値)が基準とあり、自身の数値は70dbのため基準を満たしていた。ここから新たな挑戦がスタートする。だが、補聴器を外してテニスをするという、これまで味わったことのない体験。「何かに囲まれていて、周りに誰もいなくて孤独な感じ」という感覚は今でも忘れられない。

自身のことについて語る鈴木さん(2023年5月31日18時41分、専修大学生田キャンパス)河上明来海撮影

 ただ、テニスをプレーすることより、ろう者という自分と同じ境遇・立場の人と出会い、様々な共感ができたことが何よりも大きなことだった。「それまでは難聴であることに対して後ろめたさがあったけれど、共感できたことで自分に自信がついた。それからは(難聴であることを)他の人に伝えられるまでになった」と心の持ちようは大きく変化した。「デフテニスがなかったらテニスをここまで続けていないし、前向きに過ごせていないと思う」と目を輝かせて語った。自身にとってデフテニスはかけがえのないものとなっているようだ。

黄金のメダルで知名度向上へ

 デフテニスに出会ってから6年が経った今、プレーヤーとして聴者(健聴者)に訴えたいことができた。それはデフテニスを「障がい者がするスポーツ」という特別な目で見ないでほしいということだ。「『テニスという大きな枠の中にデフテニスっていう種目もあるのだ』というような認識になってほしい。デフテニスだからしょうがない、低レベルだと思われたくない」。強い意志をもとにプレーする彼女は、聴者のテニスでも優秀な成績を出すことにこだわり、高校時代も現在も結果を残している。

 鈴木さんが見据える先は2025年のデフリンピック。開催地は東京で、日本中にデフテニスの発信・普及をする絶好の機会となる。「そこで金メダルを取ってデフテニスの存在を多くの人に知ってもらいたい」。大舞台で最高の結果を残し、人生を変えてくれた競技に恩返しをするため、覚悟を決めて2年後を迎える。

デフテニスの現状を語る一般社団法人日本ろう者テニス協会理事長の森本尚樹さん(2023年6月5日19時58分、東京都渋谷区)河上明来海撮影 

知名度向上が最重要

 「国民的知名度をあげたい。今のままでは厳しい」。そう話すのは一般社団法人日本ろう者テニス協会理事長の森本尚樹さん(52)。同協会はデフテニスを国内で活性化させるとともに、認知度を上げようと働きかけをしている。一般の人たちが耳栓をした状態でテニスをする疑似体験イベントや、各地のろう学校を訪問し競技の紹介や魅力を伝える講演・体験会などだ。同時に、デフテニス選手たちには競技のことを発信するよう、呼びかけている。

 競技普及に対して強い思いがあるのには、理由がある。「身体にハンデがある大会としてパラリンピックがあるが、これは優秀な成績を出せば賞金が得られる。しかし、デフリンピックはパラとは別。優秀な成績を出しても賞金はでない。そこが大きな差」と本音を明かした。これらの競技がもっと知られ、支援が広がれば賞金も出せる可能性が高まると同時に、普及に拍車をかけるにも経済的支援は欠かせないと森本さんは考えている。そのため最重要と考えるのが鈴木さんと同じく2025年の東京開催のデフリンピック。国民に知ってもらう最高のチャンスで「一人でも多くの選手にメダルを取ってもらう。それをメディアがどんどん発信して、いずれはスポンサーがついてほしい」と理想を語った。

 森本さんは「聴者にはもっと手話やろうのことを身近に知って欲しい」と願っている。「昔は手話をすると白い目で見られて避けられた。今でこそ馴染みがでてきたが、これからもっと普段の生活で手話を活用出来れば」。デフテニスとろう者のあり方についてより多くの人の認知を得るために、2年後を見据える。

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