「母から聞いた大戦の話と重なった」

ウクライナ避難民支援 学長自ら提案

侵攻500日インタビュー

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 専修大学の佐々木重人学長(68)は、ロシアの侵攻から逃れたウクライナ避難民への同大学の支援に関して、戦禍を逃れるウクライナ市民の映像が、「母から何度も聞いた第二次世界大戦の話と重なった」と話した。「何かをしなければ、と駆り立てられた」と振り返り、自身が支援を提案したきっかけになったと明かした。7月、VIRIDISの対面インタビューに答えた。専修大は2022年秋から、日本語学習講座「日本語・日本事情プログラム」で避難民1人を受け入れ、滞在費などを無償にする支援を続けている。今秋、冬のコースでも支援を継続する予定で、佐々木氏は「人道的支援の意味もあり、その先も続けると思う」と語った。7月8日で侵攻から500日が経過した。

避難民無償受け入れ支援、今秋・冬も継続

 「日本語・日本事情プログラム」でのウクライナ避難民受け入れは、プログラム受講料やキャンパス隣接の国際交流会館(留学生寮)の滞在費など(1コースでの総額約23万〜46万円)を無償にする内容。22年秋コース(22年9月〜同12月)を皮切りに、23年夏コース(23年6月〜同8月4日)まで4回実施している。

 国際交流事務課によると難民・避難民としての受け入れは今回が初めてで、佐々木氏も「(専修大が)過去に受け入れたことは、知る限りない。今回が初めてではないか」と話した。専修大は、今秋(9月21日〜12月15日)と今冬(24年1月10日〜2月24日)のコースでも支援を継続すると6月に発表している。

ウクライナ避難民 法務省や出入国在留管理庁の資料によると、ウクライナ避難民の在留数は2124人(7月5日時点)で、出国済みの人もあわせた総入国者数は2462人(同、速報値)に上る。入国時の在留資格は基本的に、就労が認められない「短期滞在」(90日間)だが、1年間の滞在に加え、就労や国民健康保険の加入が可能な「特定活動」への変更が認められている。
 日本も加入する難民条約によると、難民とは「①人種②宗教③国籍④特定の社会的集団の構成員であること⑤政治的意見――を理由に、迫害から逃れるために国外に出た人」を指す。「難民」については、戦争などから逃れる人も認定されるとの考えもある一方、日本政府は狭義に捉え、ウクライナの人たちは条約上の難民とは異なる、との立場を示している。そのため、「難民」でなく「避難民」と呼んでいる。

避難の映像で「一気にボタン押された」

「VIRIDIS」のインタビューに応じる専修大学の佐々木重人学長=7月7日午後3時すぎ、専修大学の学長室で、大森遥都撮影

 佐々木氏は今回の支援について、自身が学長室を通じ学内外の関係機関に提案したと明かした。そのうえで、小さな子供を連れた母親らが戦禍のウクライナから隣国ポーランドなどへ逃れる侵攻直後の映像が、「ことしで97歳になる母の話と完全にシンクロし、反射的に何かしなければいけないと、駆り立てられた」と話す。佐々木氏の母は当時、東京・表参道近辺に住んでいて、1945年3月の東京大空襲の夜、被害を受けた下町周辺の空が真っ赤になっていたのを目撃したという。「終戦記念日のある8月には、毎年かなり話を聞いていた。(侵攻の映像を見て)当時のつらい経験、怖い経験を毎回聞いていたので、『こんなことが21世紀にも起こるのか』と思った」と続けた。

 また、「(映像では、)避難民らが本当に大変な顔、つらい顔をしていた。日本にそういう人たちの一部が来始めているのだと知ったときに、自分の中で一気にボタンが押された」と、支援を提案した当時を振り返った。

 今回避難民を受け入れた「日本語・日本事情プログラム」は、短期留学生対象の日本語学習や日本文化を理解するための講座。このプログラムで受け入れた理由について佐々木氏は、「日本語が喋れないながらも(日本に)避難してきた人にわれわれができる支援は、日本語教育に対するものだと考えた」と答えた。佐々木氏自身、商学部教員時代に学内の国際交流委員を務めていた経験が長いといい、「(同プログラムで)何が行われているか、かなり把握していた。だから、当然これはいけると、すぐに判断できた」と話した。関係者の反応に関しては、「私とほぼ同じような考えをみんな持ってくれていたのだろうと思っている。スムーズに、支援の具体化を進めてくれた」と振り返った。

ウクライナ避難民を受け入れる「日本語・日本事情プログラム」の運営を担う国際交流センターの入口前には、ウクライナの平和を願うメッセージが寄せられている=5月31日午前11時半ごろ、専修大学生田キャンパスで、大森遥都撮影

 ウォロディミル・ゼレンスキー大統領の出身地として知られるウクライナ南東部の街クリヴィー・リフから避難したバレンティナ・ジンチェンコさんは、22年秋から23年夏まで4コース続けて参加しているといい、同プログラムの内容が避難民にも受け入れられていることに自信を見せた。佐々木氏によると、ジンチェンコさんは23年秋コースも継続参加の意思を示しているという。

別ケースでも避難民支援に含み

 佐々木氏は、22年11月に学長室でジンチェンコさんと面会。「慣れない土地に来て、しかもウクライナのことが気になっているでしょうから、『とにかく戦争が終わって、また(ウクライナに)お帰りいただける機会が早く来れば良いですね』と伝えた」。

 一方、面会についての反省点も明かした。佐々木氏はプログラム受講開始(同年9月)直後に面会を希望していたが、国際交流センター側から「ジンチェンコさんは来日すぐで、少しナーバスになっている。もう少し時間を取ってから面会の日をいただけるとありがたい」と言われたという。「それを言われたときは、ガチンと頭を叩かれた感じだった。相手の目線に立って考えれば、じっと見守ることも、とても大切なことだと思った」と振り返った。

「VIRIDIS」のインタビューに応じる専修大学の佐々木重人学長=7月7日午後3時すぎ、専修大学の学長室で、大森遥都撮影

 ウクライナ避難民を巡って日本政府は、「短期滞在」(90日間)での入国後、労働などが可能な「特定活動」の枠組みに切り替えることもできる仕組みを設けている。戦争や紛争で逃れてきた他国民と扱いに違いがあるとの指摘もある。

 佐々木氏は、今回のような支援を今後、ウクライナ避難民以外にも広げるかとの質問に、「ウクライナ(避難民)に限らず、さまざまな理由で政治的に迫害されて避難してくるパターンがあると思う」としながら、今回のような日本語学習講座での受け入れ支援を念頭に、「教育機関としての支援というやり方に限定することになるだろう」と語った。

 また、「今回ウクライナ避難民に対して行ったことは、一つの経験となる。全学的に共有できる事案があった場合は、同様のことをやる可能性もあるかもしれない」と、支援を今回だけにとどめないことに含みを持たせたが、具体的計画の有無には触れなかった。

 侵攻は長期化し、7月8日で500日を迎えた。専修大のウクライナ避難民支援も、22年6月の募集開始から季節が一巡りした形だ。「大学はうちだけではないので、専修大が全員引き受けましょうなんて大それた発想はない。それぞれの大学さんが、できる範囲内で支援をしていると思うので、その一翼を担いましょう、という発想。できる範囲内の支援を、細く長く」と話した。

 また、支援資金の確保が困難になっている大学なども報道されているが、「(専修大では)そういった声はなく、続けていけるのではないかと思う」と答えた。継続が決まった今秋・冬以降についても、侵攻の終結を願いながら「続けたいですね。人道的な支援という意味もあるので、続けると思う」と述べた。

 インタビューは7月7日午後、専修大・生田キャンパス内で約1時間実施した。


インタビュー詳報

 佐々木重人・専修大学学長が7月7日に応じた「VIRIDIS」のインタビューの詳細は以下の通り。(聞き手・大森遥都、齋藤美久)

――専修大では2022年秋から、日本語学習講座「日本語・日本事情プログラム」で避難民を受け入れ、滞在費などを無償にする支援をしている。始めたきっかけは。

 ロシアのウクライナ軍事侵攻では、特に子どもや女性、学生のような無辜(むこ)の人が命を取られた。ニュースでは、隣国ポーランドなどに避難する映像が多く流れていた。そのうちに、日本などにも避難に来はじめているのを見て、ウクライナで起きていることだが他人事ではないと実感した。だから、本学で何かできることがあるかと考え始めた。
 従来から国際交流センターが「日本語・日本事情プログラム」で外国人(短期留学生)に日本語や日本文化を理解してもらうプログラムを設けている。避難してきた学生に日本語が喋れずに避難してきた人がいたら、日本語教育に対する支援が一番だと考えた。

「VIRIDIS」のインタビューに応じる専修大学の佐々木重人学長=7月7日午後3時すぎ、専修大学の学長室で、大森遥都撮影

――支援を決断したのは、佐々木学長ということか。

 全学的な取り組みとして動かすため、関係所管に、このプログラムにウクライナの方で参加したいという希望者がいたら、受け入れるような支援策を今後とるように提案した。言い出したのは私かもしれません。
 報道機関の映像は、人を動かす力があると思う。(ニュースで)本当に小さな子どもを連れたお母さんたちが避難して歩いている映像が流れていたが、本当に大変な顔、つらい顔をしていた。日本にそういう人たちの一部が来はじめてるのを知ったとき、自分の中で一気にボタンが押された。

――支援開始後、プログラムを見たり、担当者から話を聞いたりしたことは。

 (受け入れ後に)授業を視察したことはない。ただ、学長になる前、国際交流委員を長い間務めていた。何が行われてるかかなり把握していた。また定期的にある学部長会で、国際交流センター長から具体的な報告が上がっていた。だから、当然これはいけると、すぐに判断できた。

――募集人数が2人なのはなぜか。

 今年6月下旬時点でウクライナ避難民が、日本全国で2000人程度。神奈川県にいるのは160人。その中で支援対象になり得る18歳〜80歳までは90人ほどだ。(もっと人数を増やし)10人〜20人規模で募集するといっても、(応募する人数の見通し面では)実態を伴わない。人数よりも教育内容の充実化を図るということだ。

――2人の募集定員に対して受け入れが1人ということについての考えは。

 今も参加しているジンチェンコさんと、もう1人、ウクライナからの女子学生さんが申し込んでいた。その学生さんは事情があり、参加される前に辞退した経緯がある。
 プログラムに参加したがすぐ辞めてしまうことが一番悪いと思う。ジンチェンさんはずっと継続してくれている。秋からも継続したいとこの前、意思表示されたそうで、僕らにとっては非常に嬉しい。支援の中身が非常に充実していると評価することができると思う。

――佐々木氏はジンチェンコさんと11月に面会した。そのときには、どんな話をしたか。

 面会の機会をもう少し早く持ちたいと思っていたが、講座(22年9月)が始まってからしばらく経ってからになった。なるべく早めにお会いしたいと申し上げていたが、国際交流センターから「ジンチェンコさんは日本に来てすぐで、ナーバスになっているから少し待ってくれ。もう少し時間を取って、日本語の勉強も進んだところで、面会の日をいただけるとありがたい」と言われた。それを言われたとき、ガチンと頭を叩かれた感じがした。
 相手の目線に立って考えれば、見守ることも大切なことだと思った。ある程度勉強が進み、お会いしたときは、にこやかに対応していただいたので、こういうタイミングでやるべきだったと感じた。会った際には、勉強はきちんと進んでいるのかを聞き、「とにかく戦争が終わって、またお帰りいただける機会が早く来ればいいですね」と伝えた記憶がある。

――支援を決めたときの思いは。

国際交流センターの受付には、「We all wish for Peace(私たちは皆、平和を望んでいます)」との貼り紙と、ウクライナ国旗が置かれている=5月31日午前11時半ごろ、専修大学生田キャンパスで、大森遥都撮影

 ことし97歳になる私の母親は、第二次世界大戦(太平洋戦争)の戦前から戦後を跨いだ世代。母は東京出身で、比較的都心に家族と住んでいた。1944年(昭和19年)にあった空襲で母の家も焼夷弾の影響で焼け出された、と母から聞いた。
 翌年45年3月には東京大空襲があり、隅田川、下町のあたりが爆撃を受けた。母がいた表参道近辺からは、夜になると、隅田川の街が真っ赤になっていたのが見えた。終戦記念日の催しがある8月になると、母はかなりそういう話をした。当時のつらい経験、怖い経験を毎回聞いていたので、ウクライナで親が避難している状況が母の言葉と完全にシンクロして、「あんなことが今21世紀でも起こるのか」と、反射的に何かしなければいけないと駆り立てられた。

――支援を開始するとき、心配事や懸念点はなかったか。

 懸念は、プログラムをウクライナ避難民に伝えるという広報面だった。どうしたら来てくれるよう伝えられるか、当時は全く分からなかった。受け入れ体制を作ることばかり気になっていた。
 ところが、国際交流事務課の人たちは、出入国在留管理局とコンタクトがありコミュニケーションが取れていた。また、川崎市と横浜市はこの問題に関心が強かったので、「広報に協力していただけないか」と声掛けをしてくれたらしい。それが今回、ジンチェンコさんなどの耳に届いたと聞いている。だから、そこ(広報面の懸念)は杞憂に過ぎなかった。

――今回の取り組みを他の地域に広げるなど、他の難民・避難民への対応に関しての考えは。

 ウクライナに限らず、さまざまな理由で政治的に迫害されて避難してくるパターンがあるが、教育機関としての支援というやり方に限定することになると思う。今回、ウクライナ避難民に対して行ったことは、一つの経験となる。全学的に共有できる事案があった場合は、また同じことをやる可能性もあるかもしれない。
 期待することを言うのは不謹慎かと思うが、仮にそういう事案が生じてきたときには、できることをするというのが大学としての役割の一つではないかと思う。

「VIRIDIS」のインタビューに応じる専修大学の佐々木重人学長=7月7日午後3時すぎ、専修大学の学長室で、大森遥都撮影

――今回の支援を始める前に、避難民を受け入れた事例は?

 私の知る限り、初めてではないか。避難というキーワードで来てくれたケースは今回が初めてではないですかね。

――侵攻が長期化する中、支援をする大学では財政面や、短期留学生の場合、期間の問題が生じているところもある。

 大学はうちだけではないので、専修大学が全員引き受けましょうなんて大それた発想はない。それぞれの大学さんが、できる範囲内で支援をしてると思うので、その一翼を担いましょう、という発想。できる支援を、細く長く。
 (お金が続かないといった声は、)ない。続けていけるのではないかと思う。そこは専修大学、結構しっかりしている。(継続が決まった今秋・冬以降についても、)続けたいですよね。人道的な支援という意味もあるので続けると思う。
 専修大学は、(避難民の受講生から日本語学習について)「上達したい」と意思表明されれば、継続させる大学だと思う。今は断言できないが、そういうところがある。だから、(今回のプログラムで)募集人数が2人というのも、そういうこと(長期化)も視野に入れて、「とことん支援するけど2人」ということだと思う。

――これからの支援の形はどうなるのか。

 受講者の目線に立ち、どんなやり方が一番受け入れられるか常に聞きながら進めていくことが重要ではないか。こちらが企画している支援の仕方はあるが、例えば自宅が別にあり、そこから通う希望がある場合、寮に入ってください、と言う必要はない。
 ジンチェンコさんは今、寮で世界中からの留学生と住んでいる。交友関係ができつつあるなかに、強引に割り込むことはすべきでないと思うし、近づかず離れずという感じで、遠くから見守るかたちで良いのではないかと思う。