今国会に提出されている、性犯罪に関する刑法改正一括法案の1つに「撮影罪」がある。盗撮行為や、本人の同意のない性的写真、動画の撮影と拡散を規制する。スマートフォンの普及とともに盗撮が増加傾向にある上、被害に気づきにくいため被害実数は計り知れない。これまでは、各自治体の迷惑防止条例で取り締まられ、自治体ごとに罰則に差があった。撮影罪では「3年以下の拘禁刑又は300万円以下の罰金」とし、全国一律での厳罰化となる。犯罪被害者の支援を行う上谷さくら弁護士は、「社会全体で盗撮被害が重く受け止められていない」と話し、今国会での成立を強く願っている。
課題も残る。規制対象が、通常衣服で隠される胸部や臀部など性的部位や性的行為に限定され、競技中の選手を性的視点で撮影し、ネット上に拡散する「アスリート盗撮」への適用が難しいのだ。事前に許可を得た関係者以外の撮影を禁止するという大会もある中、関係者とは具体的に誰を指すのか、定義を明確にすべきとの声や、一般の観客の撮影が規制されることに寂しさを感じる選手もいる。「人々のプライバシーを守るための法案であるからこそ、より深い議論を行い、規制対象の線引きを明確にしたうえで法案化すべき」と、言論・表現の自由が専門の専修大学文学部ジャーナリズム学科の山田健太教授(63)は言う。
ユニホーム姿撮影、どう線引き
上谷弁護士は、ユニホーム姿が規制の対象外となったことについて悔しい思いを滲ませる。「アスリート盗撮についての問題意識は、被害者支援に携わる人や選手とは共有できている。だが、何をもって盗撮行為だと判断するのか線引きが難しく、撮影後に一部分を拡大することもできてしまうため、キリがない」。
法案化にあたり開かれた、法制審議会第7回会議議事録によると、撮影罪の規制対象の範囲を検討する中で、「アスリートの性的な部分を強調した撮影行為が横行しており、大きな問題であると認識」しているとし、アスリート盗撮についても議論が交わされていた。フィギュアスケートで下半身ばかりを撮影する行為や、水着姿の撮影などの具体的な事案も出ている。
しかし、撮影時点ではごく普通の競技ファンのような振る舞いで撮影した画像でも、後に胸部を拡大したりするなど、悪意を持って加工できてしまうという問題がある。撮影行為の時点だけでは性的な強調が目的か判断が難しい。それもあり法制審でも「性的に強調した撮影行為というものを、(中略)実効的に処罰することは困難ではないか」との意見が議事録に記録されている。結局、「撮影罪の処罰根拠とは、(中略)一般には外部からは見られないように衣服で覆われているものが撮影されることに伴う法益侵害に求められる」とし、通常隠しているわけではない選手のユニホーム姿の「アスリート盗撮」は撮影罪をめぐる議論とは分けて考えるべき問題と結論付けられたことが、議事録から分かる。
上谷弁護士が所属する「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」は5月8日、齋藤健法務大臣に撮影罪に関する要望書を提出した。要望書では、アスリート盗撮の実態調査を行い、法律での規制を検討する附帯決議を付けるよう求めていて、衆議院では全会一致で可決された。「まずは撮影罪が国会を通らないことには始まらない。付帯決議付きでこの法案が成立すれば、今後スポーツ選手も救えるケースが増えるだろう」と、上谷弁護士は法案の成立に期待を寄せている。
一方で、言論法が専門の専修大・山田健太教授は「法案の内容について議論が足りていない」と話し、今国会での早期成立には慎重な立場だ。
「今のままでは言葉の定義が曖昧。対象の線引きが明確でなければ、拡大解釈され、悪用されかねない」と言う。山田教授は、定義の曖昧さの例として、条文内の「わいせつ行為」を挙げた。「わいせつ行為の撮影と言われても、具体的にどのようなものを指しているのか不透明。定義をはっきりさせなければ、同じ撮影行為でも捕まる人とそうでない人が出てしまう」と危惧する。
さらに山田教授は、拡散行為の規制についても、その対象範囲に議論の余地があるという。「自分が投稿したものでなくても、SNSのリツイート機能を使えば、その投稿を拡散したことになる。性的姿態の画像をリツイートしたら、それは果たして取り締まりの対象になるのか」と話す。
観客の撮影規制に課題
近年の競技大会では、事前に許可を得た関係者以外による撮影を禁止する動きがある。アスリート盗撮への対策として有効であるものの、撮影行為自体を広く規制することに山田教授は疑問を呈する。「使用するカメラの種類といった、撮影方法の許可制はある程度必要。だが、許可対象を人で絞るのは疑問。関係者と括ってしまうと、関係者であれば(布地を透過した撮影により)透視が容易となる赤外線レンズの使用も許されるのか、という懸念が生まれる」と話す。「関係者に該当するのは誰なのか。規制する側の恣意的な判断が少なからず入ってしまう」と指摘する。
専修大学陸上競技部に所属する大田和一斗さん(20)も、観客の撮影行為そのものを規制することに寂しさを感じていた。「駅伝大会で沿道の観客は皆、カメラを手に応援してくれている。観客の方にも撮影の自由があるから、一律禁止ではなく、他に悪質な撮影を規制する方法はないのか」。
大田和さんが高校生になると、ある観客の存在が目に留まった。その人は地方の大会にも積極的に足を運び、選手の撮影をしているのだという。「競技中の選手の写真をよくSNSに載せてくれる。選手との交流も盛んなので学生陸上界では有名」と話す。「走っている自分の写真は、記録であり財産でもある。自分の写真を見つけるとモチベーションになる」と笑顔を浮かべた。
専修大学陸上競技部マネージャーの橋本愛さん(19)も、大会での撮影の許可制化には複雑な心境だ。高校時代は、1500メートル走の選手として陸上競技に携わっていたという橋本さん。性的姿態の撮影はもちろん反対と前置きしたうえで、「観客の方は撮影することで陸上競技に興味をもってくれることもある。ただ、性的な目的での撮影か区別するのは難しい」と葛藤していた。
性被害問題 「メディアの感度上げて」
撮影罪は、「性犯罪に関する刑法改正の一括法案」の1つとして、5月26日には衆議院法務委員会で可決された。成立すれば、性交同意年齢が13歳から16歳に引き上げられる「不同意性交罪」なども施行される。上谷弁護士は「この一連の刑法改正は被害実態に追いつく大きな一歩」と話す一方、報道については「社によって偏りが激しく、マスコミ全体としての盛り上がりに欠ける」という。
「性被害に対するマスコミの感度が低い」と上谷弁護士は指摘する。性被害問題で取材に訪れる記者のほとんどが女性記者だという。全体的に見た報道業界の感度の低さが、撮影罪法案についてあまり大きな報道がされない要因なのだと、上谷弁護士の言葉に熱がこもる。「盗撮は社会で軽く見られることも多い。社会に問題意識を投げかけ、アスリート盗撮の抑止にも繋がる契機になる」と語った。
【注】当初公開した記事では写真キャプションの撮影年月日がいずれも「2022年」となっていましたがすべて「2023年」の誤りでした。おわびして訂正致します。(2023年7月14日午後1時5分)