川崎市の二つの介護NPO法人が近年、相次いで事業を縮小した。神奈川県・川崎市多摩区でデイサービスを提供するNPO法人「コスモスの家」は、この5年間の間にデイサービス用の施設の閉鎖、夕食宅配事業やホームヘルプ事業の閉鎖を余儀なくされた。同市高津区の介護NPO法人「助け合いだんだん」も通所介護用の施設を閉鎖し、現在は訪問介護のみとなっている。近年の介護業界への大企業参入やコロナ禍、人材不足などの要因から、NPO法人からは経営の苦しさを嘆く声が上がっているという。
コロナ禍 苦渋の決断と寄付金
コスモスの家が事業縮小に伴い閉鎖したのはデイサービス施設「有馬コスモスの家」だ。2017年のことだった。有馬コスモスの家は川崎市の委託事業として始まり、市からは年間2000万円の資金を受け取り運営していた。しかし、「市の判断で突然委託は終了した」と副理事長の渡辺拓さんは言う。渡辺拓さんの母で、理事長の渡辺ひろみさんも「交渉にも出向いたが、委託終了は覆らなかった」と話す。その後は地域のニーズに応えるため、自治体の資金を得ず自主運営として継続したが、2017年には立ち行かなくなり、閉鎖となった。現在、コスモスの家が運営するデイサービス用の施設は多摩区三田のみとなっている。一年後の2018年には、夕食宅配事業、ホームヘルプ事業も立ち行かなくなり、閉鎖も余儀なくされた。
閉鎖に伴い、職員のリストラは避けられなかった。リストラの権限を持っている理事長のひろみさんは「相当恨まれましたよ。みんなボランティアの時代からやってきた地域の人だった」と振り返った。一方で副理事長の拓さんは「片手を切らないと本体も倒れてしまう状態だった。リストラをしていなかったら、恐らくコロナは乗り越えられていなかった。コストがかさみ、コロナで最後の一撃を食らっていたと思う」と当時を振り返った。
コスモスの家が発行する「コスモスだより」2021年春号はそれまでとは違い、コロナをテーマに、利用者の激減の様子など重い内容にまで踏み込んだ。また、コロナを機に、さらなる支援者を獲得するため、記事の最後には寄付金が必要であるという訴えも、「初めて明確に書きました」と副理事長の拓さんは強調した。それ以前からもコスモスの家は支援者の寄付に支えられてきた。コロナ禍を乗り越えたことも寄付金の存在が大きく、寄付者は利用者やスタッフ、長年の支援者が中心だという。「何十年も応援してくださっているんです。その人たちのおかげでコスモスは認定NPO法人になれた」と理事長は話した。
人材不足に悩む 大企業の影響受け
助け合いだんだんも2019年に通所施設を閉鎖した。「やむを得ず、閉鎖という形をとりました」と理事長の小泉尚子さんは厳しい表情で話した。介護スタッフ不足が原因だという。助け合いだんだんのような小さな事業所は、給料など待遇の面では強いアピールができない。働く側からすれば、ヘルパーになるにはおよそ10万円もの費用をかけて資格を取る必要がある。働く側はその費用のもとを取りたいと考え、長時間勤務ができる場所を探すことも少なくない。そのため、夜勤シフトがある大きい企業に人が集まりやすくなる——という事情があるという。
現在、助け合いだんだんはスタッフ不足により、これ以上新たな利用者を受け入れることが難しいという。新たなヘルパーの獲得も難しく、業務は昔から勤務するヘルパーが担う。そのためスタッフの高齢化が懸念されている。スタッフが高齢化すると、遠方へ訪問介護に出向くことが難しくなる。また、利用者の転倒時に支えることができるかという点も小泉さんは懸念する。
「常勤のケアマネやヘルパーがどうしても欲しいところです」。理事長の小泉さんは続ける。現行の介護保険制度では、常勤の人数に応じて国から加算の支援金がもらえる。人手不足もさることながら、経営面も油断はできない。しかし、募集サイトへ掲載するためには多額の費用を要する。ハローワーク以外は有料で、一回の掲載につき20~30万円の費用が掛かる。また、ホームページなどネットメディアを用いた求人に取り組むことのハードルも高い。インターネットやパソコンの扱いに慣れたスタッフがおらず、ホームページはストップしているのだという。必要最低限のパソコン等の機器が使用できるよう、パソコンの先生を呼び、教わっている。
働きやすさの魅力
NPO法人として経営の難しさと戦うコスモスの家と助け合いだんだんだが、どちらも魅力は働きやすさだという。コスモスの家でケアマネジャーを務める水野さんは「自由な働き方のできるところ。子育てをしながら働くこともでき、子どもの学校の面談などにも行きやすかった」と話す。さらに水野さんはコスモスの家にいる間に、介護に関する4つもの資格を取得している。
コスモスの家の労働環境は、理事長の渡辺ひろみさんの経験から作り上げられてきた。ひろみさんが現在コスモスの家のある、多摩区三田地域へ引っ越してきた際、教員免許を活かして教師として働こうとした。しかし、川崎市の教育委員会に「女性を雇用するのは、30歳まで」と言い渡されたという。女性は学歴や実績があっても、いったんやめてしまえばパートのような働き方しか残っていないと実感。「子育てしながら働いていける、資格も取って地位をあげていくことのできる職場にしたい」という想いのもと、渡辺さんはコスモスの家を作り上げた。
助け合いだんだんの理事長、小泉さんも職場の環境について「居心地はいいはずです」とにこやかに話す。助け合いだんだんは始まった当初から今まで、退職者は1人だ。ヘルパースタッフは、週に一回から勤務することができるなど、生活に合わせた柔軟な働き方ができる。
利用者の家へ入って業務を行う訪問介護では、スタッフと利用者の相性の問題やトラブルも少なくはない。さらに、利用者からスタッフに対しては交代を要求することができるが、ヘルパー側は断ることができない立場にある。「『自分でできるからいらない』と言って、玄関先で追い返されたこともありましたね」。訪問介護の難しさを、助け合いだんだんの金井和美さんは話す。そこで助け合いだんだんでは、現場のヘルパーの悩みやトラブルは、社内で共有するようになっている。まずは担当責任者に伝え、その後はスタッフ皆で共有という流れだ。また、月に一回、研修を兼ねた定例会を開いており、そこでも問題やトラブルは共有する。それでも解決が難しい場合には、ヘルパーが個人で悩むことが無いよう、地域包括センターへ相談することができる。
介護保険制度から考える福祉
コスモスの家理事長の渡辺ひろみさんは2000年に導入された介護保険制度には反対だった。導入後、民間企業も福祉事業ができるようになったことへの懸念を、理事長は「福祉は、儲からなかったらやめるような、民間企業のやっている『事業』とは違う。やめてしまうと、支援を必要としている人は溝に落ちる」と話す。民間企業が儲からず撤退してしまうことで、サービスが受けられず困る要介護者がいるという意味だ。また、副理事長の渡辺拓さんは「福祉のサービスの幅が広がり、利用者が選べるようになったのはよかったところ。しかし、介護は家族と社会で協働する流れが主流となり、社会化が進んでいる。それに見合う、介護の質を維持したまま継続していける、人材や費用を確保するための予算を、国や行政には割いてほしい」と話した。介護の需要の拡大に対して、国や行政からの現場への支援は十分ではない。溝に落ちる人が出ないようにするため、地域NPO法人も人材や費用を確保できるだけの予算や支援が、現場からは求められている。