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道は新卒だけじゃない
「大学を卒業したら、何をしようか」。多くの大学生が考えていることだ。就活、大学院進学、起業、留学…。学生という立場が終わったら、世の中には多くの選択肢がある。大学卒業後に民間企業や公的機関に就職するという道ではなく、独自のキャリアを築くことを選んだ2人の女性達の活動を追った。2人は、お互いが大学生のときに参加した世界一周航空券を獲得できるコンテストで出会う。そして、2023年に大学を休学し、一緒に半年間世界一周をした。これをきっかけにそれぞれ自分らしい生き方を見つけ、現在はそれぞれの道を歩んでいる。
自分を信じ続けた挑戦
「Hidamariという名前で国境や業界を超えて、色々な人にポジティブな影響を与えたい」と満面の笑みで話すのは、現在大学4年生の飛田鞠(ひだ・まり)さん(24)だ。「Hidamari」とは、自身の名前「飛田鞠」と太陽の光や暖かさを連想させる「ひだまり」をかけている。これまで多くの人から影響を受けてきた飛田さんが、次は自分が影響を与える側になりたいという強い意志を持っていた。
この夢を叶えるために、大学卒業後は、国を通した国際交流の一つである「Au pair」というプログラムで2025年の4月からアメリカに住む計画だ。このプログラムでは、インターンシップや研修を行うためのビザ(「J1ビザ」)を得たうえで、現地の子どもの世話をするなどアメリカで働きながら、2年間生活することができるのである。
この道を選択する理由は、飛田さんが大学在学中、ずっと時間を注いできた絵画制作に関係する。2024年の8月、飛田さんは大阪にあるホテルのロビーで「みちのり展」というテーマのもと、世界一周後に描いた作品の展示会を行った。展示内容は2種類あり、一つは飛田さんが1か月にわたりインスタグラムに投稿した「絵しりとり」という、しりとりを言葉でなく絵で表現した一連の作品。もう一つは、世界一周中に見てきた町の音や景色の様子を抽象化して、正方形のキャンバスにそれぞれを表す色をのせたものだ。飛田さんは「世界一周をして、私が今まで使ったことのなかった色を使うようになり、色彩の幅が広がった」と話す。
飛田さんには、卒業後に最も取り組みたいのは絵の制作だという思いがある中で、生活が成り立つほどのお金を稼がなければいけないという気持ちもあった。日本でアルバイトしながら制作を続けることもできたが、せっかくならば世界一周中に自分が一度住みたいと思った国に行きたいと考え、アメリカに行くことを決意した。
オーストラリアなどにはアルバイトをしながら生活を送れるワーキングホリデー(ワーホリ)という制度があるが、アメリカにはない。そこで飛田さんが選んだのがこの「Au Pair」プログラムだった。日本で働きながら制作するなら、家賃や食費は自分の負担だが、このプログラムは給料も出るうえに家賃や食費も補助してくれる。また、交渉次第で働く時間も日本より少なくできる可能性があり、制作に十分時間をあてることができるのだ。
プログラム参加に備えて、さらに英語力を上げるための英会話学習はもちろん、それに加えて保育士資格を取得した。Au Pairに保育士資格は必須ではないが、子どもの世話をするプログラムに参加する上でよりよいスキルを身に着けようと考えたのだ。飛田さんは、大学では保育を専門とした学科教育を受けてはいない。そのため、2024年の10月に行われる試験に、独学で挑んだ。「色々な知識を入れることは、自信に繋がる」。彼女は、多くの目標に到達しなければいけない環境を、とても前向きに考えていた。
様々な挑戦をしている飛田さんが大事にしていることは、「自分のことを、自分が一番信じる」ということだ。「他人の意見を柔軟に受け入れる事も大事だが、その上で自分を信じるということ」。彼女はここに重きを置いてきた。「(自分の考えを信じる度合いが)ある程度のところまでいくと自分の信念になる。その信念で行動するから、まずは自分を信じることからしないと前に進まない」。自分を信じているからこそ、飛田さんも多くの活動が出来ているうえに、続けられていられるのだった。
世界一周が私を変えた
「コーヒーという飲み物で世界の人と繋がりたい」。バリスタの藤原和香奈さん(23歳)は、大学卒業を機に、神戸にあるカフェで働いている。だが社員として雇われるのではなく、個人事業主としてカフェと契約している。カフェで働く時に、正社員か個人事業主として契約しながら働くか選べたが、彼女はフリーランスになる道を選んだ。今後の自分のやりたいことを考えたときに、個人事業主という形が一番納得できたという。
藤原さんは、大学在学時には就活のことを漠然と考えていた。しかし、2023年の世界一周中の偶然の出会いで、考えは大きく変わることになったのだ。その出会いはオーストラリアで飲んだ、フラットホワイトというコーヒーだ。このコーヒーはエスプレッソコーヒーにミルクを加えており、南半球のカフェ発祥の飲み物である。藤原さんに、これを日本で広めたいという思いが溢れ、次第にコーヒーと人生を共にすることを志し始めたのだった。「今は、コーヒーでやりたいことはどんどん変わっているけど、きっかけはこれだった」。
大学卒業後バリスタとして働く今、コーヒーという飲み物で世界の人と繋がりたいというゴールが彼女の中で見えた。そのゴールの形として、コーヒーのテーマパークを創りたいという夢も出来たのだった。バリスタとしてお客さんと関わる中、想像以上に若者がコーヒーという飲み物を敷居の高いものとして捉えていることに気づいた。働き盛りの世代より上の人たちが楽しむだけでなく、もっと若者にコーヒーに親しんでほしいという思いからコーヒーのテーマパークを作りたかった。「もっと若者が楽しめるディズニーみたいな場所をつくりたい」。現在はこの夢を叶えるためコーヒーのイベントに参加するなどして奮闘している。最近では、若者が様々なコーヒーに出会うきっかけづくりのために、ホテルのバーラウンジを利用し、初の間借りカフェKOKORO COFFEEを開いた。そこで、飛田さんが開催した「みちのり展」ともコラボした。コラボメニューとして、個展のイメージに合わせた豆でつくったドリップコーヒーがあった。すっきりとした味わいで、初心者でも飲みやすいコーヒーである。
夢のために行動することに不安もあるという。個人事業主として働く中で、藤原さんはやりたいことを実現するためには、自らの手で人との関係を築く必要があることに気づく。「私は、人とのコミュニケーション能力がそこまで高くない」と少し不安げな笑顔で語る。コミュニケーションは他者視点に立つことが大事と考えている彼女は、その能力が長けていないことに不安を抱いていた。この能力を鍛えることを、職場では日々意識している。
もし、今の生き方が正しいのか悩みながら生きている人がいるのであれば、一度自分の思考と本気で向き合って欲しいと藤原さんは考える。世界一周後から、藤原さんも自分のキャリアについて真剣に考えた。自分の思考と向き合うことは、一見簡単なように見えるが、彼女にとって苦しんだ時間だった。言葉に出来ないことを紙に書き、言語化できるまで粘った。藤原さんは「考えていることを書き留めて記録し続けるのは本当に大事。私も考え続けたら、ある時自分の本当にやりたいことにビビビってきた」と振り返る。
【取材を終えて】「自分」を見るという視点 2人に共通していた視点は「自分」である。彼女らの道は、自分がどうしていきたいか、自分がどうなりたいかを本気で考え続けて選んだ結果であった。現在、キャリアの選択肢が数多くある中、将来について考えなければいけないことも沢山ある。その時に、自分と極限まで向き合い、自分を信じ、選択していくことが必要だ。 つまり、「自分と極限まで向き合う」という一見簡単そうに見えることを、真剣に行うことが鍵なのである。藤原さんは「多分、多くの人が自分と向き合っている“つもり”になっている。私も、大学を決める時とかは自分と向き合っている“つもり”になっていた」と話す。そして、飛田さんは自分を信じることを大切にしてきた。つまり、自分と真剣に向き合い続けて、心から納得できた瞬間が一番自分らしいキャリアを築く一歩目になり、その道を自分で信じて進むことが二歩目になるのだ。(小池佳欧)
異例の指名で学生コーチに
学生スポーツ界にはマネージャーとは少し異なる縁の下の力持ちがいる。それが「学生コーチ」だ。主に練習の補助やアドバイスをするなど選手らのサポートを担う。怪我を理由に選手から転向する場合が多い。専修大学の4年生で野球部に所属する髙﨑大和さんも、学生コーチとしてグラウンドに立つうちの一人だ。千葉の名門、専大松戸からプレーヤーとして進学を果たした野球青年だが、ある日をきっかけにこうした形でチームに貢献することになる。それは突然の指名だった。
茨城県茨城町 野犬増加が問題に
茨城県茨城町で野犬の増加が問題になっている。県動物指導センターによると、茨城町から収容された野犬の数は、2022年度の124頭から23年度では239頭にほぼ倍増している。同県で野犬保護の多い他の自治体をみると小美玉市は横ばい、笠間市は減少しており茨城町の増加は際立つ。茨城町みどり環境課によると野犬による農作物や家畜への被害も発生。小中学校では回覧やメール配信等で野犬の注意喚起を行っている。茨城町は県と協力し、町内複数個所に捕獲箱を設置し捕獲を進め、また野犬に遭遇した際の注意喚起も行っている。
希少魚に迫る 21歳の研究
2023年6月18日、高知県の室戸沖でツキヒハナダイという希少な魚が発見された。発見したのは高知県に住む高知大学の学生、饗場空璃(あいばそらり)さん(21)だ。饗場さんは魚類の研究を続け、世界的経済誌の米「Forbes」が毎年発表する「日本発『世界を変える30歳未満』120人」の2023年受賞者に若手研究者として選ばれてもいる。
東日本大震災 県職員、教師が語る記憶
2011年3月11日の東日本大震災は地震だけに収まらず大津波、大規模停電という過去にない経験と不安を、主に東北地方に暮らす人々にもたらした。福島県で当時、避難所で業務に当たり、避難所に駆け込んだ県民の疲労とストレスに満ちた過酷な日々を目の当たりにした県職員は、水が使えなくなったトイレにバケツの水をひたすら運び続けた。教員人生の中で震災とぶつかり、守り切れなかった子どもたちに「ただ、ただ申し訳ない」と声を落として振り返る元教員もいる。
定時退勤 率先する教員たち
学校教員の長時間労働は、教員志望者が年々減少している1つの要因として挙げられる。残業を余儀なくされる要因は単純な仕事量の多さだけではない。その裏には、働かなければと1人で抱え込んでしまう教員たちの意識もあった。そんな中、教員が働きやすくなるようにと、仕事の見直しと意識の改革を同時並行で進める取り組みが行われ、自ら率先して定時退勤に努める学校教員も出ている。
車いす利用者に「それならTVで」
「そこまでして会場に来られるのも大変なので、それならお家でテレビで観戦してください。チケットは払い戻しますので」。2021年のサッカー天皇杯決勝で主催の日本サッカー協会(JFA)が国立競技場地下の車いす駐車場を利用者に提供していなかったため、障害がありバギー型車いすに乗る宮城遼大(りょうた)さんの母・由美子(ゆみこ)さんは、駐車場を利用できるようJFAの窓口に電話で問い合わせたときこう言われたと話す。別の車いす利用者、上野美佐穂(みさお)さん(50)も同様の証言をしている。確認するため、VIRIDISはJFAに計3回問い合わせたものの、これまで回答はない。
車いす観戦「場所選べるように」
「国立競技場は、車椅子席がフィールドを囲んで約500席設置されているスタジアムです。このようなハード面が整っているスタジアムならば本来、希望するエリアの車椅子席を個々に選択できる環境にあるはずです」。サッカーJ1鹿島アントラーズのサポーターで、車いすに乗る宇野奈穗(なほ)さんは、Jリーグの担当者とオンライン画面越しに向き合い、車いす席の運用の改善を求める要望書を提出した。国立競技場(東京都新宿区)で行われたJ1のヴィッセル神戸対鹿島アントラーズ戦で、熱烈サポーターが集まる「ゴール裏」エリアでの観戦を望んでいたが、叶わなかった。国立競技場に設備としてはあるにもかかわらず、主催者の神戸はゴール裏側に車いす席を用意しなかったため、観戦エリアを自由に選べる健常者と「同様の選択肢」(宇野さん)が得られなかったのだ。
海辺の街襲った震度5強
1月1日午後4時10分頃、石川県能登地方を震源とする大きな地震が起こった。この能登半島地震は能登地方で断水、停電、建物倒壊を起こし多数のけが人や犠牲者を出しただけでなく、石川県に隣接する富山県にも甚大な被害をもたらした。中でも能登地方に最も近い氷見市では震度5強を記録し、住民を恐怖に陥れた。その氷見市に1人のVIRIDIS学生記者が帰省中、被災した。折れた鳥居、砕けた食器、そして「大津波警報」の知らせに血の気が引く——。記者が体験した震災の実相を報告する。
運動部キーホルダー、作成まだ3割
専修大学生田キャンパスの総合体育館内に昨年7月、専大体育会各部のユニホーム型キーホルダーが作れる機械「ユニパッチン」が設置された。自分の好きな番号やデザイン、大学ロゴを選び、1個1000円で自分だけの記念品を作れるが、設置から半年が経った今でも、ユニホームデザインの登録を済ませキーホルダーを作れる部は体育会47部中15に留まっている。機械の存在の認知が上がらず、深刻な課題になっている。